No.36(五代十国時代・北宋) :
「藩鎮体制を壊すための北宋の政治とはどういうものか?」
藩鎮とは、8世紀の唐から地方有力者の節度使が自立したもので、北宋を建てた
趙匡胤(太祖)と2代太宗は、藩鎮の乱立で唐が衰退したり五代十国時代に中国
が分裂混乱した二の舞いにならないように、文人官僚を重視した文治主義を行い、
また隋時代に始まった科挙を強化(殿試という皇帝による面接口頭試験)し、また
禁軍(正規の国軍)を設置して地方の軍隊を劣弱なものにするなどにより君主独裁
の中央集権体制を樹立した。
<評価の観点>
関心・意欲・態度:
「文は武の上」とされる中国文明の伝統を、様々な事実から納得することにより、唐
末・五代の武断主義を否定して文治主義を徹底した北宋について、意欲的に学ぼ
うとしている。
思考・判断:
唐末以来の混乱を収拾するために、中央集権的な文治主義が有効であったことを、
科挙の完成や禁軍設置と連動させて考察している。
資料活用の技能・表現:
二つの写真資料、文官の俑と武官の俑を比較して、唐末・五代と宋代(伝統に回帰)
の、それぞれの主人公がどちらであるかを実感する。
知識・理解:
唐末・五代から宋代にかけての、政治と社会の大変化について、基本的な知識を身
につけている。